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ピアノ協奏曲 (パデレフスキ) : ウィキペディア日本語版
ピアノ協奏曲 (パデレフスキ)[ぴあのきょうそうきょく]

ピアノ協奏曲 イ短調 Op.17は、イグナツィ・パデレフスキ1888年に作曲したピアノ協奏曲
== 概要 ==
パデレフスキは現在のポーランドのに生まれた。彼は1877年ワルシャワ音楽院を卒業して、翌年に同音楽院のピアノ科で教えるなど、音楽家としての道を歩み始めていた。次にベルリンへと赴いた彼はフリードリヒ・キールに作曲を、ハインリヒ・ウルバンに管弦楽法を師事した。ベルリンではアントン・ルビンシテインから作曲により力を注ぐよう助言を受けたが、その後もパデレフスキはほとんど世に知られないままであった〔。
パデレフスキがピアニストとしてデビューしたのは、わずか11歳でのことであった。ロシアの各都市を演奏旅行して回り〔、祖国ポーランドのクラクフでリサイタルを催すなどした彼であったが〔、後年大ピアニストとして知られるに至るキャリアの幕開けは、ウィーンテオドール・レシェティツキに師事した後に訪れる。彼がピアノ協奏曲を作曲したのは、パリとウィーンでのデビューを果たした後の1888年であった〔。曲は非常に短期間の間に仕上がったが、自信を持てなかった彼はサン=サーンスに助言を求めている。パデレフスキの回想によれば、多忙なサン=サーンスは当初、持ち込まれた作品へのコメントを拒否しようとした。しかし、パデレフスキが演奏する傍らで注意深く楽譜を読んだサン=サーンスは、曲の完成度の高さを称賛して不安げな作曲者を激励した。特に第2楽章には感じ入って、アンコールを求めたという〔。
初演は当時レシェティツキの妻だったアンナ・エシポワソリストを務め、ハンス・リヒター指揮で行われた。ヨーロッパを代表する著名な指揮者による演奏が実現したのは、恩師レシェティツキの影響力によるものと思われる〔。曲は瞬く間に成功を収め、自らが初演の独奏者となることを希望していたパデレフスキも、最終的にはこの結果に納得した。曲はレシェティツキに献呈されている〔。
パデレフスキはこの曲以外のピアノ協奏曲形式の作品として、1893年にピアノと管弦楽のための「ポーランド幻想曲」Op.19を作曲している〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピアノ協奏曲 (パデレフスキ)」の詳細全文を読む



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